フルーツバスケットは、1998年から2006年まで8年にわたって連載された少女漫画です。
線が細く目が大きい、美形の多い絵柄は少女漫画然としていますが、その内容はギャグもシリアスもハイレベルで、窒息するほど笑わせる回と食べ物がのどを通らなくなるほど辛い回、頭が痛くなるほど涙が止まらなくなる回が織り交ざった、いろんな意味で歴史に残る作品です(※個人的な感想です)。
実際、2001年、第25回講談社漫画賞・少女部門受賞。2007年に「もっとも売れている少女マンガ」として、ギネスブックに認定され、2018年11月時点で単行本の全世界累計発行部数は3000万部を突破しています。
人生の岐路で、日々の生活の中で、フルーツバスケットの名言を胸に大小の選択をしてきた人も少なくないのではないでしょうか。
今回は、これだけ指示され影響力の高いフルーツバスケットの数ある名言・名台詞の中から、私にとって特に印象深いものをランキングにしてみました!
10位 誰かを羨ましいと思うのは、他人の梅干しならよく見えるからなのかもしれませんね。
草摩紫呉の家で草摩由紀、本田透、草摩夾が同居し始めたばかりの頃。
夾のおむすびの握り方が上手なことを「すごいです!」と熱心に褒めたたえる透に、褒めるようなことではないだろうと言うようにおざなりに返す夾。
そんな夾の様子に、透はふと気づくのです。
例えば人の素敵というものがオニギリの梅ぼしのようなものだとしたら
その梅ぼしは背中についているかもしれません…っ
世界中の誰の背中にも 色々な形 色々な色や味の梅ぼしがついていて
でも背中についているせいで せっかくの梅干しがみえないのかもしれません。
『自分には何もない。まっ白なお米だけ』
そんな事ないのに
背中にはちゃんと 梅ぼしがついているのに
……誰かを 羨ましいと思うのは 他人(ひと)の梅干し(せなか)ならよく見えるからかもしれませんね
フルーツバスケット 第2巻/アニメ1st season 第3話
フルーツバスケットにはときおり、こういうたとえ話が出てきますが、これはその代表的なものの一つですね。
自分のいいところはよくわからないのに、他人のいいところは目について、時に嫉妬につながることもある。
でも、気づいていないだけで誰にでもいいところはあるはず。
それを見つけて大切にしてくれる人は、大事にしたい人ですね。
また、透は幼い頃にクラス内のフルーツバスケットで、一人だけオニギリに任命されて最後まで呼ばれなかったという意地悪をされたことがありました。
この二つのエピソードから、他のキャラクターは十二支モチーフを象徴としている中、透を象徴するモチーフはオニギリになったことでより、この話が印象的になっています。
第9位 好きなら何を言っても許されるなんて思ってはいけない
草摩由紀ファンクラブのメンバーが、由紀を愛する自分たちの想いを本田透の行動が踏みにじっている、由紀をもてあそんで図に乗っていると責めたときの花島咲の弟・花島恵の発言です。
「好き」なら
何を言っても許されるなんて 思ってはいけない…
「好き」なら何をしても許されるなんて思っているなら反省したほうがいい…
一方的に…高まった愛情をぶつけると 相手の重荷になったり傷付けてしまう時もあるのだという事を
忘れてはいけない…
フルーツバスケット 第5巻/アニメ1st season 第21話
相手の気持ちを尊重し思い遣る心を忘れてはいけない…
でないと 終いには嫌われてしまうよ
恋をする相手に対して、仲の良い友人に対して、好きな有名人に対して、「好きだから」と相手の気持ちを無視して独占しようとしてしまったことはないでしょうか。
自分の気持ちを押し付けるだけで、相手の意思や幸せを優先できなかったことはないでしょうか。
誰かを好きになること自体は素晴らしいことですが、「恋は盲目」と言う言葉があるように、「好き」な気持ちは時に視野を狭ませ、暴力的になることすらあります。
しかしそれでは、相手に好いてもらえないだけでなく、相手も自分も辛くなってしまいます。
自分の「好き」は、自分の幸せも相手の幸せも見失っていないかどうか、時々この言葉を思い出して確認したいですね。
第7位 誰かに「好きだ」って言ってもらえて初めて…自分を好きになれると思うんだ
いじめが原因で登校拒否をしている草摩紀紗の元に届いた担任からの手紙には「自分を好きになる事」が促されていました。
それを読んだ由紀が、自分の経験も交えて話します。
「自分を好きになる」って…
それってどういう事なんだろう…
「いい所」って どうやって捜すものなんだろう…
嫌いな所しかわからない
わからないから嫌いなのに
なのに
無理矢理探してもこじつけみたいで 空しい…
…… そうじゃないんだ
そういう事じゃないんだ
誰かに 「好きだ」って言ってもらえて初めて…
自分を好きになれると思うんだ……
誰かに受けれいてもらえて初めて 自分を少し許せそうな
好きになれそうな気が してくると思うんだ……
フルーツバスケット 第5巻/アニメ1st season 第18話
「自分を好きになろう」ってよく聞く言葉ですが、だれもが好きで自分を嫌いになるわけではありません。
自分を嫌いになってしまうようなときというのは、自分にはいいところなど何もないような絶望感に打ちのめされている場合が多いものです。
そんな人に「自分を好きになって」と言っても、逆に追い詰めるだけです。
少なくともその言葉を言う相手は、自分を好きになろうともしてくれていないこと、自分の辛さを他人事と突き放していることがわかるだけです。
自分を嫌っている人を励ましたいのなら、まずは「私はあなたが好きだよ」「あなたにはこんなにいいところがあるよ」と伝えられるといいですね。
第6位 どちらがより不幸かを秤にかけてそれで勝ったってうれしくないよ
どちらがより不幸かを秤にかけて それで
勝ったって
… 嬉しくないよ……
フルーツバスケット 第19巻/アニメ2nd season 第15話
真鍋翔の彼女中尾小牧の言葉です。
この言葉を聞いたとき思い出したのは、BUMP OF CHICKENの「ハンマーソングと痛みの塔」という歌でした。
その歌では主人公が、自分の痛みを箱に詰めて誰かに気づいてほしいと積み上げていきますが、積み上げすぎて誰も届かぬ高さになり、「自分は特別だ」とあぐらをかきますが、自分でも降りられなくなっていることに気づくのです。
辛い思いをした時、傷ついたとき、慰めてほしいと思うのは自然なことであり悪いことではありません。
ですが、そのために不幸自慢をしたり、他人の不幸を見下したりしても、それで勝ったところで何かいいことがあるでしょうか。
そんなことよりも、自分も相手も他の人も、痛みが和らいでいく方がいいですよね。
この気持ち せつない気持ちも嬉しい気持ちも 私だけのものだよ
こちらは逆に、泣きはらした顔を心配してくれた母にそっと距離を取り、失恋の痛みを自分だけのものにしたい、という主旨の言葉。
ごめんね 同情も
同調もいらないの
誰かと分かりあうつもりはないの
この気持ち
せつない気持ちも嬉しい気持ちも
私だけのものだよ
フルーツバスケット 第12巻/アニメ2nd season 第11話
草摩楽羅の恋は、見た目ほど単純なものではありませんでした。
相手を「自分より可哀想な存在」として見下す心、それを愛してあげる偽善に酔う心を内包しており、
それを自覚した後も、この恋が成就すれば醜い面を許されるような気がして固執していました。
でも、それだけではなくて、
発端は酷く身勝手で恥ずかしいものでしたが、それでも関わっていくうちに相手を愛しく思うようになったのも事実だったのです。
なんてみっともない恋でしょう。
でも、どんなにみっともなくて醜いものでも、自分にとって必要で大事なものって、あります。
それは、だれの同意も必要ありません。
自分だけがわかっていれば、それでいいのです。
いつかそんな思い出に負けないボクになれるって信じてるから
…だけど
ボクは思うんだ
ボクはちゃんと 思い出を背負って生きていきたいって
たとえばそれが悲しい思い出でも
ボクを痛めつけるだけの思い出でも
いっそ
忘れたいって願いたくなる思い出でも
ちゃんと背負って逃げないでがんばれば
がんばってればいつか…
いつかそんな思い出に負けないボクになれるって
信じてるから
信じて …いたいから
忘れていい思い出なんて ひとつも無いって
思いたいから
フルーツバスケット 第4巻/アニメ1st season 第3話
物の怪憑きであるが故に母に記憶ごと捨てられた草摩紅葉。
物心ついたころには自分のせいで壊れた母に拒絶されてきました。
父に涙ながらに説得され、自分に関する記憶をすべて忘れた母はみるみる回復。
やがて妹を産み、家族三人で幸せに暮らしているのです。
紅葉一人を別にして。
しかし、紅葉は誰も恨んでいません。
むしろ自分以外の家族たちの幸せを願い、密かに見守っているのです。
私は、壊れてしまうくらいなら忘れるという紅葉の母の選択も、決して間違っていないと思います。
あまりにも辛すぎて抱えきれない痛みというものは、あります。
それを無理に全部抱えようとすると壊れてしまうくらいなら、それを捨てて自分の幸せを求めるのは、一人の人間として間違っていない、と。
親だろうが何だろうが、幸せになる権利はあります。
実際、そうして距離を取っていなければ、紅葉も達観して自分たちの現状を受け入れることもできなかったでしょう。
互いの幸せを願うこともできなかったでしょう。
しかし、それを全て踏まえて、母を許し家族たちの幸せを願える彼は、なんて優しいのでしょう。
なんて強いのでしょう。
人によって良心の形は違うんだ
でも疑うよりは信じなさいって お母さんが言っていました
人は良心(やさしさ)を持って生まれてこないんだよって
生まれながらに持ってるのは食欲とか物欲とかそういう欲だけなんですって
つまり生きる本能ですよね
良心は体が成長するのと同じで
自分の中で育てていく心なんだ…って
だから人によって良心の形は違うんだ…って。
フルーツバスケット 第1巻/アニメ1st season 第3話
本田透の語る母・本田今日子の言葉です。
所謂性悪説に近い考え方ですね。
良心(やさしさ)は生まれ持てるものではないから、自分の力で育てていかなければいけない。
その形は人によって違って、思わぬ形をしている人、わかりにくい人もいます。
でも、お互いの良心を尊重できるといいですね。
だけど本当に理解しなくてはいけないのは 忘れてはいけないのは 子供の頃の自分
お母さんは言っていました
自分が「親」になって初めて 親の気持ちが理解できたってだけど だけど本当に理解しなくてはいけないのは
忘れてはいけないのは
子供の頃の自分だって初めて逆上がりができた日や 初めてたくさん怒られた日のこと
フルーツバスケット 第4巻/アニメ 1st season 第13話
子供の頃 感じた気持ちをちゃんと忘れずにいれば
大人になっても 親になっても 理解し合える
100%は無理でも
歩み寄る事はできる…って
こちらも、本田透の母・本田今日子の言葉。
「親の心子知らず」と言いますが、「子の心親知らず」と言う言葉もあることをご存じでしょうか。
わたしもどちらかと言うとこっちの方が大事ではないかと考えています。
なぜなら、様々な選択権がある親と違って、子どもは親(保護者)に依存しなければ生きていけません。
住む場所も食べるものも親の一存に支配され、着る服や交友関係、人生の進路まで操作し得る関係です。
親の力は圧倒的に大きく、対等ではありません。
子供は生まれる前から、親を必要とし、親がいなければ生きていかれないために全身全霊で親を愛し認められようとします。
文字通り命がけです。
こんな命がけの想いは、成長するにつれ薄れていき忘れていきます。
これだけ純粋な愛は、子どもの頃だけです。
子どもの想いに報いるためには、子どもの頃の気持ちを少しでも多く思い出さなければ不可能なのです。
とりあえず足元にあるものから洗濯してみるといいかもね
進路に悩む透に草摩紫呉がかけた言葉です。
たとえば透君が山のような それはもう足許まで溜って身動きできないほどの洗濯物に囲まれてしまったとしましょう?
フルーツバスケット 第8巻 2nd 第2話
しかも洗濯機がなくて 一枚一枚手で洗わなきゃいけない
透君は途方に暮れる
本当に全部洗濯できるかな キレイにできるかな
満足のいく結果を自分はちゃんと出せるのかなって
考える度 不安になってくる
けれど時間は刻々と過ぎていく
さて透君はどうするべきか
…とりあえず足許にあるものから
洗濯してみるといいかもね
先を気にするのも大切だけど先ばかり見てると
足許の洗濯物に足がからまって転んじゃうでしょう?
『今』や『今日』何ができるか考えるのも大切
そうやって一枚一枚洗っていけば
なんだか あっけないくらいにアッサリと
お天道さまがのぞいたりするものだから
不安はそれでもこみあげてきたりするけど
そういう時は ちょっと一休みするんだよ
本を読んだり TVを観たり みんなで素麺食べたりしてね
恐らく私の人生で一番ヘビロテしている名言です。
優柔不断でいつも迷ったり後悔ばかりしていたわたしが、少しずつでも進んでいけるようになったのはこの言葉のおかげです。
紫呉は透たちが悩むときにこういう先を指し示す言葉をかけてくれることがたびたびあり、最初は「ちゃらんぽらんに見えて意外と優しい青年」イメージでしたが、
物語が進むにつれ「ちゃらんぽらんに見えて救いようのないクズ」であることが判明し、「あんなにいい言葉をかけてくれていたのに!嘘つき!」とショックを受け拒絶したファンもかなり多いのですが(当時は本当、阿鼻叫喚でした…)、
私は逆に「あれだけクズなのに、透たちには優しい言葉をかけて励ましてくれてたんだよなぁ…」と、透たちとの出会いによって紫呉の中で良心が芽生え育ったのではないかと感じています。
だから、紫呉の言葉には心から感謝しているのです。
雪が溶けると何になるでしょう?
草摩カナと草摩はとりが出会った時の会話です。
そーだっっ 質問していいですか?
雪が溶けると何になるでしょう!!
『……馬鹿にしているんだろうか』
「…「水」になるに決まっているだろう」
ぶっぶーっ
「春」になるんですよっ
フルーツバスケット 第2巻 1st 第7話
はとりは後に「いつの間にか冷え切った雪になっていたのが俺ならば 彼女は新鮮で鮮明な春だった」と語っていますが、
この問答はそのまま『フルーツバスケット』というこの物語を象徴しているように感じられ、とても印象的です。
はるか昔から凍えた永久凍土だった草摩家に透たちという外部からの春が差し込み、雪を溶かし陽光で照らし出す物語。
この作品は、私にとっての「春」でもありました。
まとめ
フルーツバスケットの名言を取り上げてみましたが、いかがだったでしょうか。
連載終了から16年も経ちますが、今も色あせない普遍的なテーマをいくつも編み込んだ傑作です。
今後も永く愛される作品でありますように。