代表的なものは、『金色のガッシュ!!』の雷句誠先生の原稿紛失トラブルですが、その前後にも多くのトラブルが漫画家自身から発信され、度々話題に上り、その度にその悪質さから激しく炎上しています。
しかし、漫画稼業は独自の世界であるため、一般人の想像を超えた就業風景はどの出版社でも聞くことがあります。
その中でも小学館はそんなに悪質なのでしょうか。
2024年2月15日現在判明している小学館問題をここにまとめてみました。
1995年『14歳』楳図かずお先生
ホラー漫画界の巨匠楳図かずお先生が、まさかの小学館問題の犠牲者でした。
1995年頃、当時連載していた『14歳』を完結して以降、2024年2月現在に至るまで休筆されている楳図先生ですが、休筆に至った主な原因が当時の編集者だというのです。
楳図先生と言えば、14歳という若さでプロデビューして以降、40年間も第一線で活躍し続けてきた天才漫画家です。
そんな大先生に対し、新人編集者が、何を思ったのかげんこつの絵を描いて見せ「手はこう書くんですよ」と述べたというのです。
ご本人が明言されたエピソードはこの一件だけのようですが、40年も漫画に人生をかけてきた重鎮に対して無礼な言動であることは素人でもわかりますし、こんな言動があり得てしまう土壌に違和感を感じざるを得ません。
楳図先生はこの件と腱鞘炎を理由に筆をおかれ、その後はタレント活動などで活躍されることになりました。
1997年『いいひと。』高橋しん先生
『いいひと。』と言えばドラマ化したことでも知られている漫画作品ですが、原作をご存じの方は原作漫画とドラマとがあまりにもかけ離れた内容であったこともご存じでしょう。
原作漫画の『いいひと。』は、主人公ゆーじをそのタイトル通り『いいひと』として描いてはいますが、ゆーじはかなりの苦境に何度も立たされながらも、曇りのないまっすぐさで道を切り開いていき、彼のまっすぐさに感化され周りの人間も変化していく人間ドラマです。
原作者もやはり、『いいひと』という人間像をどう描くのかに重きを置いていたのでしょう。
「主人公ゆーじとその恋人妙子のキャラクターを変えないこと」をドラマ化の条件としていましたが、実写ドラマ版は残念ながら主人公ゆーじをただ運が良いだけのおバカキャラのように描いてしまいました。
原因は、先走る現場スタッフを関西テレビのプロデューサーが制御できなかったことだとされてはいますが、後述するようにメディア化の際の深刻なトラブルが他にも散見されることを見ると、小学館に非が無かったかは今となってはわかりません。
高橋先生はこの件で責任を感じ、『いいひと。』の連載を終了させてしまいましたが、小学館との仕事は続けています。
ここに挙げている作家陣の中で、唯一小学館との仕事を続けられている先生です。
1999年~2007年 『快感フレーズ』新條まゆ先生
『快感フレーズ』等で有名な新條まゆ先生もまた、アニメ化などで小学館に不信感を抱き、たもとを分かった漫画家の一人です。
『快感フレーズ』のアニメ化も、原作の醍醐味でもある性描写を削除するどころか、主人公雪村愛音の恋人である有名バンドのボーカリスト大河内咲也が、雪村愛音と出会う前のプロローグ的な話をオリジナルで作るという
「なぜ原作付きで作ったんだ!?」
と疑問を感じる内容で、原作ファンからは抗議が上がり、それを受けてシナリオが二転三転したようです。
こちらも、アニメ化について原作者への確認が全くないまま進んでいたらしく、挙句の果てには映画化の話が出たのに編集者が勝手に断っていたということが発覚。
『快感フレーズ』連載終了後も似たような路線の作品ばかりを強制させられ、原作者の意思を尊重してもらえない状態に不満を抱いた新条まゆ先生は、2007年についに独立を自身のブログで宣言。
その中で「小学館の仕事を辞めるなら、これまでの出版物を絶版にする」と、脅迫とも言える発言をされたこと、強制的に連載を一回休載させられたこと、など、かなり深刻なパワハラに触れていました。
しかもこの時、小学館は編集者会議で「作家にあんな偉そうな発言をさせないように管理した方がいい」と取り上げたことが新条先生のX(旧Twitter)で明かされ、波紋を広げています。
小学館声明なしか…残念ですね。私が小学館から出るっていうブログを書いて大問題になった時、小学館は朝イチの会議で「作家にあんな偉そうな発言をさせないように管理した方がいい」ってなった。かたや集英社の会議では「こんな事態になる前に作家さんが不満を抱えてないか、聞き取ろう」ってなった。
— 新條まゆ@『虹色の龍は女神を抱く』連載中! (@shinjomayu) February 7, 2024
新條先生は漫画家と出版社のトラブルが上がるたびに問題提起を投げかけておられ、芦原先生の『セクシー田中さん』問題の時には出版社と仕事できなくなる覚悟の上で以下のようなnoteを発信されています。
漫画家が出版社に搾取される時代が始まっている https://note.com/mayutan126/n/n54607a9ecd37?sub_rt=share_b
2004年~2012年『海猿』佐藤秀峰先生
漫画原作のドラマ化で大ヒットした中の一つ『海猿』もまた、大きなトラブルとなり、今は再放送もできない状況にまでなってしまいました。
佐藤先生視点でのことの顛末は、先生ご自身のnoteに詳しく書かれています。
死ぬほど嫌でした https://note.com/shuho_sato/n/n37e9d6d4d8d9
映画化の企画書が届いたところまでは聞いておられたものの、いつの間にかそれが決定事項となり、以降は口をはさむ権利を取り上げられ、契約書へ判を押すことを求められ、飲むしかない状態だったようです。
実写化し成功することは名誉である、という固定概念。
映像化には多くの人がかかわっているため、漫画家一人の意思でそれを覆すことへの気後れ。
そういう空気を逆手に取り、都合よく事を運ぶ出版社とテレビ局。
出版社はすみやかに映像化の契約を結んで本を売りたいのです。
映像化は本の良い宣伝になります。
だから、漫画家のために著作権使用料の引き上げ交渉などしません。
漫画家の懐にいくら入ったところで彼らの懐は暖まらないのです。
それより製作委員会に名を連ね、映画の利益を享受したい。
とにかくすみやかに契約することが重要。
著作権使用料で揉めて契約不成立などもっての外。テレビ局はできるだけ安く作品の権利を手にいれることができれば御の字。
漫画家と直接会って映像化の条件を細かく出されると動きにくいので、積極的には会いたがりません。
出版社も作家とテレビ局を引き合わせて日頃の言動の辻褄が合わなくなると困るので、テレビ局側の人間に会わせようとはしません。
漫画家の中には出版社を通じて映像化に注文を付ける人もいますが、出版社がそれをテレビ局に伝えるかどうかは別問題です。
面倒な注文をつけて話がややこしくなったら企画が頓挫する可能性があります。
出版社は、テレビ局には「原作者は原作に忠実にやってほしいとは言っていますけど、漫画とテレビじゃ違いますから自由にやってください」と言います。
そして、漫画家には「原作に忠実にやってほしいとは伝えているんだけど、漫画通りにやっちゃうと予算が足りないみたい」などと言いくるめます。「海猿はスペクタクルだから!
原作通り作ったらハリウッド並みにお金がかかっちゃうから!」
かくして、漫画家は蚊帳の外。
テレビ局と出版社の間で話し合いが行われ、事が進んでいきます。
実際に関わった人たちから見て、これが事実なのかはわかりません。
しかし、少なくとも佐藤先生にこう思わせてしまうだけのことをしてしまい、原作者を孤立させケアしなかったことは真実でしょう。
その後も、佐藤先生では無い人が原作者を名乗って動いたり、
テレビ局がアポなしで取材してきたり、
勝手に関連本を出版したりと、『原作者』としても『一人の人間』としてもないがしろにされたことがつづられています。
結果、佐藤先生は『海猿』の続編はおろか、再放送すら許さないと、原作者として持ちうる権利を最大限に行使するまで追い詰められ、出版社も移籍しました。
2005年~2007年『金色のガッシュ!!』雷句誠先生
事の始まりは、『金色のガッシュ!!』の連載が盛り上がっていた2005年。
雷句先生は最終話までの構想がまとまったため、編集部に連載終了を伝えました。
しかし、アニメ『金色のガッシュベル!!』が放映中、映画2作目公開間近という編集部にとってあまりにもおいしいタイミングだったため、編集部は連載の引き延ばしを求めます。
それまでの歴代担当全員ともかみ合わなかったこともあり、雷句先生は『雷句スタジオ』を有限会社化し、担当編集者へ契約の変更を申し入れ。
税理士を挟んでの取引上も様々なトラブルが発生します。
税務関係のトラブルと並行し、編集者からの執拗な引き延ばしアイディアの押収に追い詰められ、雷句先生は同年12月に爆発。
アシスタントへのミスの指摘の際にアシスタントにケガを負わせ、自身も利き手を複雑骨折。
約3カ月の休載を余儀なくされ、その間に連載終了の確約と、連載終了と共に小学館と縁を切ることを申し入れています。
しかし、それだけでは終わりませんでした。
出版社から引き上げる際、原作者の当然の権利として原稿の一括返却を要請したところ、数点欠けていることが判明。
その後何度も返却要請を繰り返し、2カ月の後、5枚のカラー原稿の紛失が発覚。
小学館との雇用関係を切ることも渋られ続けたため、事態はこじれ、裁判沙汰にまでもつれ込みました。
この際、小学館内では「漫画家に屈してはならない!」という社内FAXが回ったことがヒガアロハ先生によって証言されています。
この話を聞いた当時、小学館の社員さん数名に、FAXの件を振りました(男性2・女性2・30代〜50代)
— ヒガアロハ@polarbearcafe (@alohahiga) February 14, 2024
どの方も否定しなかったし、ある人は「よく知ってますね」と笑っていました。
教えてくれた方は、これで退職を決心したそうです。
以上、補足説明でした
(10年前の話であることはご留意下さい) https://t.co/PwC0YbNfVL
同年11月には裁判上は和解が成立したものの、ブログで裁判の訴状と陳述書を公開し、漫画家の地位向上を訴えた雷句先生の姿は多くの漫画家たちに影響を与えました。
2012年『しろくまカフェ』ヒガアロハ先生
言語を介する二足歩行の動物たちと人間が共存する不思議な作品『しろくまカフェ』。
このアニメ化もまた、原作者の意図を無視して進められたものでした。
2012年4月に放映開始されましたが、同年5月、ヒガ先生はX(旧Twitter)で、アニメ化に口を出せない現状への不満と原作漫画の無期限休載を発表。
ヒガ先生個人がどれだけ周りに頼み込んでもあしらわれ続けたため、知的財産管理の専門家と弁理士を頼ってようやく編集部とアニメ制作会社との話し合いの場が設けられ、編集部側が全面的な非を認めたそうです。
しかし、このツイートの翌日、ヒガ先生は小学館へ呼び出され、編集長とメディア事業部の人たちにツイートの削除を要求されました。
10年前の記事を貼って下さってる方がおられました🙏 @s2YQ8IIuT033830
— ヒガアロハ@polarbearcafe (@alohahiga) February 5, 2024
無期限休載するというツイートをしたら、翌日小学館へ呼び出され、編集長とメディア事業部の人たちに囲まれて「ツイートは削除しろ」と言われました。
(削除しませんでした) pic.twitter.com/Ly29HvvDVE
その後、連載は再開し最終話まで描かれましたが、ヒガ先生は2014年に集英社へ移籍され、『Cocohana』にてしろくまカフェの続編『しろくまカフェ today’s special』を連載されています。
2024年『セクシー田中さん』芦原妃名子先生
『セクシー田中さん』は、タイトルのキャッチ―さに見合わず、中身は「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたいと大切に描いてきた漫画です(芦原先生のX(旧Twitter)より抜粋)」。
・自己肯定感
・性被害未遂
・アフターピル
・男性の生きづらさ
と、難しく繊細な内容を含みながら、ベリーダンスを通して描かれる人間模様、リアルで丁寧な心理描写に定評のある作品です。
しかし、それが日テレで実写ドラマ化した際に問題が起きました。
ドラマ終了後、脚本家相沢友子先生がインスタで「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました。」等と投稿。
特に不評だった最終話の脚本が原作者の手によるものであることを主張したのです。
そのうえ、公式Tiktokがドラマ最終回に対するネガティブコメントにのみイイネをする、という、まるで風評被害を作り上げるかのような行動が確認されました。
この件に芦原先生は、2024年1月18日に初めてTwitterを解説し、同年1月26日、小学館と相談したうえで芦原先生側の状況を最初から説明されました。
芦原先生は「原作に忠実」なシナリオ、「そうでない場合加筆修正する」ことを条件にドラマ化を承諾しました。
しかし、それが全く守られていない脚本ばかり送られてくるため、何度も加筆修正することになります。
原作漫画もまだ連載中で多忙の中、慣れないドラマの脚本チェック、大幅な書き直しという過密スケジュールが続きながらも、何とか最終話まで書き上げたのです。
最終話の出来は、芦原先生ご自身も納得はいかなかったようですが、原作の譲れない芯はなんとか守り通したものとなりました。
それに対して、製作陣側に手のひらを返されたのです。
芦原先生の投稿は激しい議論を巻き起こし、瞬く間にネット上を巻き込む大炎上となりました。
その二日後、芦原先生は痛々しいコメントを最後に、他の投稿をすべて削除し疾走。
攻撃したかったわけじゃなくて。
— 芦原妃名子 (@ashihara_hina) January 28, 2024
ごめんなさい。
翌日には、芦原先生の自死という非業の結果が明らかになったのです。
ここまで凄惨な結果を招いておきながら、小学館は2月6日に社員向けの説明会で「現時点で小学館が今回の件に関する経緯などを社外発信する予定はない」ことを説明。
これが火に油を注ぐ形になりました。
現場の人たちも、もがいたのでしょう。
いや、芦原先生と実際に仕事をしてきた現場の人たちこそ、こんな終わり方は我慢がならなかったのだと思います。
「小学館 第一コミック局編集者一同」の名義で、2月8日に声明が出されました。
作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へhttps://t.co/16nqOsRlRz
— フラコミlike! (@flower_comics) February 8, 2024
小学館 第一コミック局編集者一同
具体的な経緯の説明ではありません。そこを批判する人もいます。
しかし、一雑誌の編集者たちだけに、今回の件の経緯を説明するだけの情報も権利も責任もあるはずがありません。
半端な情報をむやみに流すような無責任なことをすれば、今度は誰に被害が及ぶかわかりません。下手すればそれを逆手に取られて芦原先生を足蹴にするようなことすらあり得るのです。
むしろ、会社に勤める社会人としては、クビどころかその後の人生もつぶされかねないほどの危険性をはらんだ、覚悟の上で書かれた文章であることがわかります。
あらゆる方面へかける迷惑を最小限に抑えながらも、自分たちはこの件を闇に葬るつもりはない、自分たちができる限りのことを模索する、という意思表明。
これは、並大抵のことではありません。
小学館内の各部署が次々と公式Xでこの投稿を取り上げたことからも、現場の人たちの声が見えてきます。
ついには、小学館公式もこの声明を正式に取り上げました。
そして2月16日、口を閉ざし続けた日テレがようやく動き出しました。
「小学館にもご協力いただき、新たに外部有識者の方々にも協力を依頼した上、ドラマ制作部門から独立した社内特別調査チームを設置することにいたしました。」
このコメントにも「なぜ第三者ではなく社内調査チームなのだ」等の批判が寄せられてはいますが、事態が事態だけに生半可な結果では誰も納得しないでしょう。
日テレも小学館も腹をくくって、ただ罪をなすり付けるのではなく、漫画原作も映像化製作も環境を整え、同じことを二度と繰り返さないようにしてほしいと思います。
まとめ
『セクシー田中さん』の件は、原作者の作品はおろか、その命も守れなかったという事態の重さに、多くの漫画家も声を上げ、ネット上では連日議論が巻き起こっています。
その中にはここに挙げた佐藤先生や雷句先生、新條先生、ヒガ先生も含まれます。
どうかこの犠牲が、長年君臨し続けた小学館問題に風穴を開ける力を持ちますよう、願ってやみません。
当たり前のことですが、一次創作者がいなければ創作物は存在できないのです。
一次創作者である原作者の権利を守ることが当たり前になってほしいと、強く、つよく求めます。