鳥山明先生が急逝され、世界中のファンが悲しみに包まれています。
鳥山明先生の漫画『Dr.スランプアラレちゃん』、『ドラゴンボール』、携わられたゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズ、『クロノ・トリガー』等は海外にも進出しており、本当に世界中に影響を与えた漫画家でありイラストレーターでした。
そのため、世界各地で大きな反応があり、鳥山明先生の偉大さが改めて再認識されています。
鳥山明先生の死因や、遺作は何なのか。
海外でどんな反応があるのか、主なものをまとめていきます。
鳥山明先生の死因
鳥山明先生が亡くなられたのは、2024年3月1日。享年68歳です。
死因は、急性硬膜下血腫(きゅうせいこうまくかけっしゅ)。
頭部外傷による脳の表面の血管の損傷が原因で発症することの多い病気で、頭蓋骨下の硬膜と脳の間に出血がたまり、脳を強く圧迫する状態です。
手術しても死亡率は6割以上、社会復帰できる人は2割以下と、予後の厳しい外傷です。
生存率を上げるためには、頭を強く打った場合はできるだけ早く(意識障害がある場合は救急車で)脳神経外科へ行くことが重要です。
私がこれまでに診た急性硬膜下血腫の大部分は、交通事故によるものでした
— 知念実希人 物語り (@MIKITO_777) March 9, 2024
あとは、階段からの転落や高齢者が転倒して強く頭を打ったケースかな
急性硬膜下血腫は基本的に強い頭部外傷によって生じ、それ以外の原因は極めて稀です https://t.co/TqeRexhdHr
鳥山明先生は、昨年から体調不良を周りにもらしており、2024年2月には「脳腫瘍の手術をする」と仰っていたそうです。
鳥山明先生の遺作は?
鳥山明先生の遺作は、『ドラゴンボールDAIMA』と『SAND LAND』プロジェクトになりそうです。
ドラゴンボールDAIMA
『ドラゴンボールDAIMA』は、2024年秋放送予定のアニメです!
ある陰謀によって、ドラゴンボールのメインキャラクターたちが軒並み子どものような姿になり、その事態を解決させるために新たな世界へ向かう話です。
詳細は明らかにされていないものの、原作、ストーリー、キャラクターデザイン、乗り物やモンスター、モブキャラクターに至るまで鳥山明先生が携わっている意欲作です。
『SAND LAND』プロジェクト
『SAND LAND』は、2000年に週刊少年ジャンプで連載された一巻完結作品です。
それが、2023年8月にCGアニメ映画となり、鳥山先生独自のデザインそのままのメカやキャラクターが忠実再現され、話題を呼びました。
しかし、この映画『SAND LAND』は、『SAND LAND』プロジェクトという大きなプロジェクトの一端に過ぎなかったのです。
2024年4月25日にはゲーム『SAND LAND』が発売されることが発表。
鳥山デザインのメカを自分でカスタマイズして操縦できるという、ファン垂涎ものの内容です!
それに続き、2024年3月4日、『SAND LAND』プロジェクト発表会を開き、
映画『SAND LAND』の内容に未公開カットや新たなシーンを追加したアニメ作品『SAND LAND:THE SERIES』を、Disney+『スター』で3月20日から独占配信されることが発表されたのです!
『SAND LAND:THE SERIES』は2章構成の全13話で、前半に先述した映画『SAND LAND』に+αした物語『悪魔の王子編』(第1話~第6話)、後半に完全オリジナルストーリー『天使の勇者編』(第7話~第13話)が続きます。
『天使の勇者編』では、悪魔の王子ベルゼブブ、老保安官ラオ、王子のお目付け役シーフの凸凹トリオに、さらに天使の勇者を名乗るムニエルとメカニックの少女アンの二人が加入。
サンドランドからは一転、「フォレストランド」という緑の国を舞台に、謎のエネルギー「アクアニウム」を巡る冒険が幕を開けます。
まさか、このプロジェクトが発表された時には鳥山明先生が亡くなられていたなんて、誰が想像したでしょうか。
しかし、これが『SAND LAND』プロジェクトという名の壮大な企画であることが発表されたのが2024年3月4日なので、もしかしたらこの後さらなる展開があるかもしれません。
鳥山先生という大きな柱を失ってはしまいましたが、あの『SAND LAND』の映像化に鳥山先生をうなずかせる出来で成功したチームなので、鳥山先生の志を受け継ぐ展開があることを期待しています。
遺作の今後まとめ
『ドラゴンボールDAIMA』と『SAND LAND』プロジェクトの今後の動向をまとめると、以下のようになります。
- 2024年3月20日 アニメ『SAND LAND:THE SERIES』をDisney+『スター』にて独占配信
- 2024年4月25日 ゲーム『SAND LAND』発売(PlayStation®5 / PlayStation®4、Xbox Series X|S、STEAM®)
- 2024年5月29日 映画『SAND LAND』Blu-ray&DVD発売
- 2024年秋 アニメ『ドラゴンボールDAIMA』放送(フジテレビ)
海外の反応
鳥山明先生死去のニュースは、日本だけではなく世界中に大きな衝撃を与えました。
その証拠に、様々な国から続々と追悼メッセージが届いたのです。
まず取り上げるべきなのは、発表当日に早速大使館・大統領・首相と三方面からそれぞれ追悼メッセージを寄せたフランスでしょうか。
フランス大使館
鳥山明氏の訃報に接し、フランス大使館は悲しみを深くしています。漫画の最高峰に到達した人物であり、鳥山氏の創造性に溢れた作風、物語の展開の妙、そして比類なきデザインの芸術により、フランスにおける第九芸術の普及に大きく貢献しました。 https://t.co/6mawJdURbJ
— フランス大使館🇫🇷🇪🇺 (@ambafrancejp_jp) March 8, 2024
フランスマクロン大統領
À Akira Toriyama et ses millions de passionnés qui ont grandi avec lui.
— Emmanuel Macron (@EmmanuelMacron) March 8, 2024
鳥山明と何百万もの彼の愛好家へ。 pic.twitter.com/0AAvVxUuj6
フランスアタル首相
アタル首相
— フランス大使館🇫🇷🇪🇺 (@ambafrancejp_jp) March 9, 2024
「ドラゴンボールと神龍の力でも、彼を呼び戻すことはできません。
『MANGA』及び日本の文化をフランスにもたらしたのはまさに鳥山氏でした。偉大なる鳥山明が私たちのもとを去りました。近親者の方々と熱心な読者の皆さんに、心よりお悔やみ申し上げます。」 https://t.co/7FBhl0gLEB
また、南米での鳥山明人気がすさまじいことは有名で、特にアルゼンチンでは多くのファンが各地に集い様々な追悼パフォーマンスをしました。
3万人のファンが元気球を作るために集結したり、
『ドラゴンボールZ』主題歌「CHA LA HEAD CHA LA」を合唱したりと、ファンの気持ちが伝わるパフォーマンスです。
"Obelisco":
— Tendencias en Argentina (@porqueTTarg) March 10, 2024
Porque se juntaron 30 mil fanáticos de Dragon Ball en el Obelisco para hacer una "Genkidama Másiva" en homenaje a Akira Toriyama.pic.twitter.com/Laa4uMOafG
また、ペルーのダディ・ヤンキースのコンサートでもまた、「CHA LA HEAD CHA LA」が歌われました。
さらには、ブラジルはじめ世界中のサッカーチームからも追悼コメントが寄せられており…サッカーどころかスポーツ漫画、いや、普通の現代が舞台の漫画すらほとんど描いていないのですが、そんな枠を飛び越えて人々を結びつける力があるのでしょう。
世界各地で、ここには取り上げきれないほど様々な追悼パフォーマンスやメッセージがあがり、鳥山明先生の功績の大きさが偲ばれます。
近しい方たちからの追悼コメント
最後に、鳥山明先生と親交の深かった元編集者鳥嶋氏、ドラゴンクエストシリーズ生みの親堀井雄二氏、漫画家であり親友の桂正和先生、漫画家でありファンである後輩代表尾田栄一郎先生、岸本斉史先生がジャンプ公式HPに寄せた追悼コメントをご紹介します。
昨年出した本、「Dr.マシリト最強漫画術」で一緒に仕事をしたのが最後の仕事でした。その中の「あのころのトリシマとトリヤマ」が2人で作った最後の漫画になりました。45年に渡りありがとうございました。鳥山さん、あなたは最高の漫画家でした。
鳥嶋和彦氏から編集部に届いたコメント全文
訃報|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト (shonenjump.com)
<堀井雄二さん>
本当に、あまりに突然な鳥山さんの訃報で、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。
鳥山さんとは、ボクが少年ジャンプのライターをやっていた頃からの知り合いで、担当編集者の鳥嶋さんの勧めもあり、ドラゴンクエストを立ち上げる時に、彼にゲームの絵を頼むことにしました。
あれから37年余り、登場人物のキャラクターデザイン、モンスターデザイン、とても数えきれないほどの魅力的なキャラを描いていただきました。
ドラゴンクエストの歴史は、鳥山さんのキャラデザインとともにありました。
鳥山さん、故すぎやま先生は、ドラゴンクエストを長きに渡って作ってきた仲間でした。
亡くなってしまうなんて‥‥。
これ以上、なんて言えばいいのか言葉になりません。本当に、本当に、残念です。ドラゴンクエストゲームデザイナー 堀井雄二
訃報|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト (shonenjump.com)
<桂正和先生>
力がぬけて気力が出ません。
こんな事のコメントはしたくないですね。
けど、何か書きます。書き出したら、言いたい事だらけなんで、めちゃくちゃ長文になりそうだけど、できるだけ、コンパクトにまとめます。
ただ、気持ちがまとまらないので、乱文お許しを。思い返しても。大袈裟でなく、お宅に遊びに行った時、うちに泊まりに来てもらった時、遊びに出掛けた時、全部が楽しい思い出しかなくて、電話をする度に、疲れるほど笑ってました。
面白い人だった。
すけべで、可愛くて、毒舌で、謙虚で。本職の漫画では、合作とかもしたけど、あれも楽しかった。
でも、99%漫画の話をした事はない付き合いでしたね。
漫画家として、見てる風景、作家のレベルも違いすぎて、偉大さを意識した事が無かったです。わかってはいます。
けど、本人と接する時は微塵もそれは感じなかった。人柄ですね。だから偉大な漫画家というより、今も友人としてとしか考えられない。去年の夏、私が手術をする前に、どこかで聞いたらしく、メールくれました。
本当ーーに、メールなんて珍しく、心配そうに私の体を気遣う内容。
40年来の付き合いだけど、鳥山さんから、あんなに優しくされたのは初めてだったかも。雪が降るかと思いましたよ。いつもは冗談か、くだらない話しかしないっすからね。
なんすか、人の心配してる場合じゃないじゃん、全く。
そのちょっと前だったか電話した時、その頃、色々具合が悪かった私は「多分先に逝くんで、お別れ会とかやってくださいね、鳥山さん仕切りで!あと、箔がつくからスピーチして下さいね!」と約束したのに、守ってもらえなかった。メールをくれた後、なんで電話しなかったのか、それが、すごく後悔です。
もうくだらない話で長電話ができない事が、残念でしかたないです。
話したい事が沢山溜まってます。いろんな話があるんです。興味のない話は、いつものように、うわの空に聞いてもらってもいいんで、もう一度話したいです。
私の、また連絡くださいとのメールの返事に、軽くOKって書いてあったのが最後なんて、ダメです。心底辛いです。桂正和
訃報|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト (shonenjump.com)
<尾田栄一郎先生>
あまりに早すぎます。
空いた穴があまりに大きすぎます。もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます。
子供の頃から憧れすぎていて
初めて名前を呼んで貰えた日の事も覚えています。
我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道
岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。
最後に交わした会話も覚えています。漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り
大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり
漫画ってこんな事もできるんだ
世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。
突き進むヒーローを見ているようでした。漫画家に限らず
あらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代に
ドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。
その存在は、大樹です。同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって
鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。
怖いくらいに。
でもまた、飄々としたご本人に会えるとただ嬉しい。
僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。鳥山先生の残された創造性豊かな世界に
敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように。
尾田栄一郎
訃報|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト (shonenjump.com)
<岸本斉史先生>
突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。
ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。
嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。
本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!
大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。
とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。
でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。
僕も先生のような作品を作りたい!
先生のようになりたい!
と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。
漫画作りが楽しかったからです。
先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。
先生はいつも僕の指針でした。
憧れでした。
先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。
僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。
ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。
ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。今、先生のご訃報を受けたばかりです。
ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ…
まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。
今は大好きなドラゴンボールも読めません。
先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。
世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。
もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…すみません…
それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。
そして本当にお疲れ様でした。残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。
ご自愛くださいませ。
鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます。岸本斉史
訃報|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト (shonenjump.com)
まとめ
鳥山明先生という、あまりにも偉大なアイコンを失ってしまい、多くの人が悲しみに暮れました。
しかし、彼のまいた種は世界中に散らばっています。
その種が芽吹き、すでに新たな作品を続々と生み出している現在。今後も鳥山明先生が残した影響は世界中の人たちに次々と新しい力を与えることでしょう。
ひとまずは、遺作となる『ドラゴンボールDAIMA』と『SAND LAND』プロジェクトの成功を祈願して…
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。