『ルックバック』は、『チェンソーマン』の藤本タツキ先生の長編読み切り作品です。
長編読み切り作品でありながら、集英社のアプリ「ジャンプ+」で公開されてすぐに注目され、2日経たず閲覧数が200万を突破し、X(旧Twitter)でもトレンド入りしました。
ただ話題になっただけでなく、数々の著名人にも衝撃を与え、言及された問題作『ルックバック』。
作品としてのクオリティの高さは皆が認めるものの、その中の一部描写が炎上し、修正されたことでも話題となりました。
2024年には映画化することも決定し、改めて注目を浴びている『ルックバック』。
その何が問題で炎上し、修正に至ったのか。
その修正箇所が京アニ事件を彷彿とさせる、と指摘する人もいますが、それは本当なのでしょうか。
『ルックバック』の炎上修正騒ぎに言及していきます。
『ルックバック』あらすじ
まずは、『ルックバック』の炎上箇所までのあらすじを紹介します。
炎上箇所の説明のためにもネタバレが含まれます、ご注意ください。
ネタバレあらすじ
主人公の藤野は、小学3年生の頃から学年新聞に4コマ漫画を連載していました。
彼女の漫画は人気があり、新作を公開するたびに周りから賞賛されていましたが、
4年生になったあるときから、登校拒否児童である京本も学年新聞に4コマ漫画を載せるようになります。
その京本の画力は圧巻で、それまで自惚れたところのあった藤野は大きなショックを受け、京本に負けじと絵の勉強を始めます。
友人たちとの交流も激減し、勉学も後回しにして、ひたすら漫画に没頭する京本。
6年生にもなると、それまでほめそやしていた周りの目が変わってきます。
「アンタいつまでマンガ描いてんの?」「オタクだと思われてキモがられちゃうよ…?」
周りにそう冷たくあしらわれるほど打ち込んでも、京本との差は縮まらず、ある日、藤野は筆を折りました。
藤野と京本の出会い
そして、卒業の日。先生に卒業証書を託され、藤野は仕方なく京本の家に向かいます。
部屋の前に山積みにされたスケッチブックの山に、偶然4コマ漫画の白紙原稿を見つけ、藤野は戯れで漫画を描きました。
「出てこないで!!」で始まる、引きこもりの京本を揶揄する内容。それが間違って、京本の部屋の扉の隙間に滑り込んでしまいました。
慌てて逃げ出す藤野でしたが、部屋から飛び出した京本に、まさかのファン宣言をされます。
京本は、藤野の4コマにずっと憧れていたことを一方的にまくしたて、来ていた半纏にサインまでしてもらいます。
藤野の漫画を絶賛する京本の熱意に押され、藤野は思わず「今漫画の賞に出す話考えてて」と告げてしまいます。
京本の熱い期待に応えるように、藤野は今度は本格的に漫画の執筆に挑むようになり、京本をアシスタントに迎え、二人で漫画を共同制作します。
1年かけて手掛けた作品は、見事準入賞。
その後17歳までに7本の読み切り作品を載せ評判になった二人に、高校卒業と同時に連載作品の話が持ち込まれました。
分かれ道
しかし、京本は絵の道を究めるために美大へ。藤野はそのままプロの漫画家となり、二人は袂を分かつことになります。
藤野の漫画は着実に人気を伸ばし、ついにはアニメ化が決定。順風満帆に思えたある日、事件が起こります。
2016年1月10日。
美大に不審者が侵入し、12人を殺害する事件が発生。
京本はその最初の犠牲者になってしまったのです。
この不審者の「絵画から自分を罵倒する声が聞こえた」「俺の(絵)をパクった」などの言動が、京アニ事件などを彷彿とさせる、精神障碍者への誤解を助長するとして、炎上しました。
修正比較まとめ
上述した通り、この作品は美大生が精神的に不安定な不審者の凶刃に倒れるシーンがあり、その不審者の言動が炎上騒ぎに発展しました。
そのため、掲載された「ジャンプ+」上でも修正されましたが、単行本化に際し改めて修正されました。
修正箇所は、ニュースの記事、京本が不審者と遭遇するシーン、不審者が京本に武器を振り下ろすシーンの3か所です。
それぞれのシーンの修正前、「ジャンプ+」での修正後、単行本での修正後を比較します。
修正前
修正前は「絵画から自分を罵倒する声が聞こえる」という、統合失調症による幻聴を思わせる点、「俺の(絵)をパクった」という京アニ事件を連想させる点が目につきます。
ニュースの記事
「大学内に飾られている絵画から自分を罵倒する声が聞こえた」
京本が不審者に遭遇
「オマエだろ馬鹿にしてんのか?あ?」「さっきからウッセーんだよ!!ずっと!!」
男はこの時も被害妄想により自分を罵倒する声が聞こえていたと供述
「うるせええええええ」
不審者が京本に武器を振り下ろす
「オイ」「ほらア!! ちげーよ!!俺のだろ⁉」「元々俺のをパクったんだっただろ!?」「ほらな!!お前じゃんやっぱなあ⁉」
「ジャンプ+」での修正
この修正では、不審者に不安定さは見受けられるものの、基本的に動機は「誰でもよかった」という無差別殺人の体で、「絵描いて馬鹿」「社会の役に立てねえ」というところからアーティストに対する蔑視が見られます。
これは、藤野が6年生の頃に直面した周りの「絵を描く藤野に対する評価」とリンクする面があるため、別のメッセージ性を持たせたことになります。
ニュースの記事
「誰でもよかった」と犯人が供述して
京本が不審者に遭遇
「今日自分が死ぬって思ってたか?あ?」「今日死ぬって思ってたか⁉」
男は最初に目についた人を殺すつもりだったと供述
「なああああああああ」
不審者が京本に武器を振り下ろす
「オイ」「見下しっ 見下しやがって!」「絵描いて馬鹿じゃねえのかああ⁉」「社会の役に立てねえクセしてさああ⁉」
単行本での修正
単行本での修正では、幻聴要素は削除されましたが、犯人の動機が「自分の絵をパクられた」という点であることを強調。
精神疾患による症状を否定しながらも、「自分の作品をパクられた」という勘違いからの凶行という点は残した形になります。
ニュースの記事
被告は「ネットに公開していた絵をパクられた」と供述しており
京本が不審者に遭遇
「この間の展示っ…俺の絵に似たのっ…あったろ?あ?」「俺のネットにあげた絵!パクったのがあったろ⁉」
男は目についた美大生を殺すつもりだったと供述
「なああああああああ」
不審者が京本に武器を振り下ろす
「オイ」「見下しっ 見下しやがって!」「俺のアイディアだったのに!」「ぱくってんじゃねえええええ」
現実の事件がモチーフ?
上記事件のシーンは、主に二つの実際にあった事件をモチーフにしていると指摘されています。
京都アニメーション放火殺人事件
真っ先に思い出した人が多いのは、「京アニ事件」と呼ばれるこの事件ではないでしょうか。
2019年7月18日に発生した放火事件で、70人もの人が死傷した、明治時代以降最多の被害者数を出した事件です。
元々は京アニ作品のファンでもあり、「京都アニメーション大賞」に応募歴もあった加害者が、その後放映された京都アニメーション制作のアニメで「自分のアイディアが使われた」と思い込み、様々な事情から社会に適応できないことを「京都アニメーションのせいだ」と恨みを募らせ、凶行に及びました。
そのあまりにも身勝手な動機や事件の凄惨さから、国の内外に大きな衝撃を与え、特に様々な分野のクリエイターには強いショックを与えました。
京都精華大学生通り魔殺人事件
2007年1月15日に発生した通り魔事件です。
京都精華大学マンガ学部1年生の男性が、自転車で下校中に鉢合わせた男性と口論の末、刃物で全身十数か所を刺されて死亡した事件です。
目撃者も少なく、犯人も明らかになっていない未解決事件です。
『ルックバック』内の事件とは「美大生が不審者に十数か所刺されて犠牲になった」以外の共通点はありません。
表現の自由?
『ルックバック』映画化に藤本タツキ先生が寄せたコメントには、以下のように書かれています。
自分の中にある消化できなかったものを、無理やり消化するためにできた作品です。
https://lookback-anime.com/
根拠のない推察ですが、この「消化できなかったもの」の中には京アニ事件の影も色濃く残っている気がします。
京アニ事件はあまりにも痛ましく、被害が甚大で、多くのファンは元より、作品制作に携わる多くのクリエイターには一層深い傷を与えました。
なぜなら、犯人の動機が作品制作にかかわることだったからです。
「パクリ」と言われる恐怖
ネットを介して、著名人も含む不特定多数の人が直接対話できるようになった現在。
実は、既存の作品に「自分の作品のパクリだ」と言いがかりをつける人は、毎年多数出現しています。
それが問題視されないのは、そのほとんどが根拠もないたわ言として誰にも相手にされず消えていくからです。
その反面、何らかの画像を参考にしただけで、結論ありきの検証画像を載せて「トレースだ!パクリだ!」と騒ぎ立て炎上を煽る人たちもいます。
ごくまれに、実際にパクってしまっているアーティストが発見されることも、実際にはありました。
自分の作品を公開する人全員が、「パクっただろ」と言われる可能性と恐怖を抱いています。
京アニ事件はクリエイターにとって、決して他人事ではないのです。
一方的な勘違いで、こんなに暴力的に作品や命を奪われてしまう可能性がある、ということは、恐怖です。
この恐怖は、何らかのクリエイターでなければ実感できないものでしょう。
選民意識とかではなく、経験が無ければ想像も難しいことというものはあります。これはそのたぐいの感覚だと思います。
創作趣味というマイノリティ
また、創作趣味というものは、少数派です。
本気になれば本気になるほど、大衆からは浮き、嘲笑の的となり、冷ややかな目を向けられます。
作中、藤野が直面する「それまではほめてくれていた周りの人間が「進路」という現実に直面する頃に手のひらを返し、自分の創作を否定し始める」という経験もまた、多くのクリエイターが共通して経験するものです。
創作者ではない大衆による創作に対する冷遇と、自他の境界が不確かな他創作者に創作を奪われ踏みにじられる、という二つの恐怖がこの作品の根底にはあり、表裏一体であり、欠かすことのできない要素です。
大事なのは、作品が伝えたい内容
この作品は、京アニ事件が着想の一つであることは間違いないとは思います。
ただ、実際に命を奪われないにせよ、創作者全員が抱えている「パクっただろ」と言いがかりをつけ創作を奪われる恐怖を具現化しているのだろうと私には感じられます。
「精神障碍者への誤解を増長させる」という懸念も見かけ、当事者たちにそういう不安を抱かせてしまったことは胸が痛みますが、
精神疾患に関する監修のついた精神疾患を題材とした作品ならまだしも、
あくまでも「現実に存在する恐怖の具現化」をしただけのキャラクターに対し、専門知識に則った表現を強制することは現実的ではないと感じます。
大事なのは、その作品が何を訴えたいのか、です。
話の本筋からズレたところにも専門知識を持つことを強制されると、あらゆる創作物は縮小せざるを得なくなり、やがてはその題材に全く触れることができなくなります。
精神障碍者を嘲笑したり、不当な扱いをして差別を助長するようなものは厳しく指摘されてしかるべきですが、
話の本筋ではないところに過剰に専門性を求めることには、私は反対です。
修正後も一見の価値あり
しかし、私が舌を巻いたのは、藤本タツキ先生は修正に応じてもただでは起きなかったことです。
「ジャンプ+」での修正時、不審者の言動は一見支離滅裂な勢いだけになったように見えますが、
「絵描いて馬鹿じゃねえのかああ⁉」「社会の役に立てねえクセしてさああ⁉」
と、「創作者に対する差別意識」が見て取れます。
これは、藤野が6年生時に直面した、この作品のもう一つの敵である「創作に対する大衆の差別意識」とリンクしています。
藤本タツキ先生は、修正するにしてもただ矛先を変えるだけでは済まさず、もう一つの敵にきちんと狙いを定めなおしたのです。
テーマをブレさせないことで作品の命を殺さない、という藤本タツキ先生の強い意志を感じます。
まとめ
公開されるや否や、読み切り作品としては異例の数字をたたき出した問題作『ルックバック』。
京アニ事件を連想させることから修正を余儀なくされましたが、修正後も作品の筋をブレさせない強い意志を感じました。
単行本版では、修正前に近い形に修正し直されています。